黒須巳之吉先生(2)

金杉英五郎の養母の姪である大竹貞子と大正4年(1915年)結婚 6人の子供授かる。昭和3年(1928年)貞子病死の後、昭和10年(1935年)スクリバ・ 巴と再婚。巴の先夫エミール・スクリバは42歳で病死。昭和10年 スクリバ・巴と再婚。巴の先夫エミール・スクリバは42歳で病死。下の写真は、昭和初期 昭和モダンの風景・建築の部より黒須巳之吉邸での写真集。写真には、黒須巳之吉一家である巴夫人、長男正夫 次男英二 三男正三 四男文夫 長女ゆり子 五男吉男 および巴夫人と先夫のエミール・スクリバとの一人娘エミのうち数人がが写っている。長男正夫は東大医学部卒業の耳鼻科医で神奈川県湯河原の黒須耳鼻科病院・東京都港区六本木の黒須耳鼻科医院で診療に従事し、五男の吉男は、千葉大学医学部卒で、東邦医大の麻酔科主任教授となる。五男吉男の長男(黒須巳之吉の孫に当たる)黒須譲(step grandmotherの義理の父親が、明治のお雇い外国人教師外科のユリウス・カール・スクリバである)は、米国スタンフォード大学数学科卒後、エール大学医学部卒業し、日米両国の医師免許を所有し米国で臨床医をした後、日米両国の医療に精通した総合診療医として、現在東京都世田谷区下北沢にてプライマリーケア東京クリニックの院長として診療に従事しており、地域に立脚しながら日米両国の架け橋として活躍中、また日本旅行医学会の評議員として旅行医学・外国人医療の専門家として、祖父の巳之吉先生の理念「医の任たるは病唯病を察するのみ。富貴を視ること勿れ、貧賤をみること勿れ。唯病之察するのみ」を実践している。

2014年 第26回矢数医史学賞を受賞した日本近現代医学人名事典1868-2011』(京大名誉教授・泉孝英氏編,発行・医学書院)には、黒須巳之吉 黒須吉夫がそれぞれ載っている。

 

黒須巳之吉先生 87歳で歿す。