エルヴィン・フォン・ベルツ(1)

鼈氏内科診断学 など著書多数。直接教え子は森林太郎はじめ800人。箱根、富士屋旅館の女性従業員の手の荒れを見てベルツ水を発明。恙虫病研究や草津温泉治療を世界に知らしめた。日本鉱泉論を書いて日本政府に温泉の重要性 有効活用 温泉地の整備など進言した。日記や手紙を編集した『ベルツの日記』には、当時の西洋人から見た明治時代初期の日本の様子が詳細に描写。またスクリバが56歳で肺結核と糖尿病で鎌倉で亡くなる日に徹夜で付き添い、その長年の親友の死を悲しむ記述もある。

ドクトル ベルツ原著の内科病論上・中・下編  初版明治十五年 訳補兼出版人 東京大学助教授伊勢錠五郎  (注)伊勢錠五郎の曾孫に当たる方が千葉県松戸市幸田に在住

明治新政府樹立に大いに貢献した岩倉具視は、1883年1月 食べ物の通過障害があり体調を崩し食道がんと思われる症状を訴え、更に病状悪化で明治天皇からベルツに診察するように勅令が下り、ベルツは岩倉具視に末期食道がん告知をした。これが、日本最初のがん告知と言われており、岩倉具視はその年の7月20日に永眠し日本初の国葬が執り行われた。